イタリア当局はミラノでベルルスコーニ元首相の国葬を執り行い、数千人が参列した。
6月14日、イタリア元首相シルヴィオ・ベルルスコーニの葬儀のためミラノの路上に参列者が並んだ。ベルルスコーニ元首相の棺が邸宅からゴシック様式のドゥオーモ大聖堂に運ばれると、人々は拍手し手を振った。
ベルルスコーニ氏の棺が大聖堂に運び込まれた後、参列者は広場の大型スクリーンでマリオ・デルピーニ大司教が司式する葬儀を見守った。
「別れと祈りのこの瞬間に、シルヴィオ・ベルルスコーニについて私たちは何を語ることができるでしょうか?彼は人生、愛、そして喜びを切望した人でした」とデルピーニ大司教は語った。
ベルルスコーニ元首相は、まれな白血病との闘病の末、6月12日に86歳で亡くなった。ベルルスコーニ氏は1994年から1995年、2001年から2006年、そして2008年から2011年の3度にわたりイタリアの首相を務め、合計9年間政権を握った。
ベルルスコーニ氏が亡くなった後、イタリアの政府庁舎では同氏を追悼して半旗が掲げられた。イタリア議会は3日間の活動を停止し、政府はベルルスコーニ氏の国葬を行うと発表した。イタリアで元首相の国葬が執り行われるのは今回が初めて。
6月14日、イタリアのミラノで行われたシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相の葬儀の後、棺を運ぶ行列。写真: AFP
ベルルスコーニ元首相の支持者であるルチア・ディーレさん(30)は、ベルルスコーニ氏は「イタリア史上最も偉大な政治家だ」と語った。 「彼は埋めることのできない大きな穴を残しました。ジョルジャ・メローニは偉大な首相ですが、シルビオに代わる人はいません」と彼女は語った。
アマチュア写真家のジャンフランコ・ディレッタさん(65)は、ベルルスコーニ元首相を支持していなかったものの、「この人気現象を不滅にしたい」という思いから同首相の葬儀に出席したと語った。 「私はベルルスコーニ氏に投票したことは一度もない」とディレッタ氏は語った。
ベルルスコーニ氏は1936年にミラノの中流家庭に生まれ、1961年に法学の学位を取得した。建設業でキャリアを積み、その後メディアや金融の分野に進出した。 1986年、ベルルスコーニ氏はACミランクラブを買収し、破産から救った。
フォーブス誌はかつて、ベルルスコーニ氏を資産62億ドルで世界第188位の富豪にランク付けした。 1993年、ベルルスコーニ氏はフォルツァ・イタリア党を設立し、イタリア史上最も有名な政治家の一人となった。
ベルルスコーニ氏は米国の多くの政策を支持し、イスラエルやトルコとの関係も緊密化させてきた。彼はまた、欧州連合(EU)とロシアのより緊密な関係を支持しており、ウラジーミル・プーチン大統領と個人的な関係が深い。
ベルルスコーニ元首相は心臓に問題があり、2006年に演説中に失神し、その後ペースメーカーを装着しなければならなかった。ベルルスコーニ氏は前立腺がんの治療と心臓弁置換手術も受けなければならなかった。元イタリア首相の健康状態は2016年から悪化している。
グエン・ティエン氏( AFP通信による)
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