日本は火曜日も、沿岸部を襲った地震による被害の程度を評価するのに苦労していた。少なくとも10人が死亡し、建物や主要道路が破壊され、多くの凍結地域で広範囲にわたる停電が発生した。
大きな建物は地震の影響で傾いた。写真:ロイター
1月1日午後半ば、暫定マグニチュード7.6の地震が日本沿岸の広い範囲を襲い、高さ1メートル(3フィート)の津波が西海岸を襲ったため、沿岸部の一部の住民は高台への避難を余儀なくされた。
救助・救援活動を行うため、日本全国から数千人の軍人、消防士、警察が石川県能登半島の最も被害の大きい地域に派遣された。
しかし、道路がひどく損傷して通行止めになったため救助活動は妨げられ、また、この地域の空港の一つも滑走路のひび割れにより閉鎖を余儀なくされた。この地域への多くの鉄道、フェリー、航空便も停止された。
「地震の被災者の捜索と救助は時間との戦いだ」と岸田文雄首相は1月2日の災害に関する緊急会議で述べた。
岸田氏は、道路が損壊したため、救助隊が能登半島の北端に到達するのが困難だったと述べた。ヘリコプターによる調査で、多数の火災と建物やインフラへの甚大な被害が見つかった。
気象庁は、地震発生以来140回以上の余震が観測されていると発表した。同庁は今後数日中にさらに強い余震が発生する可能性があると警告した。
気象庁は強い地震を受けて、石川、福井、新潟、富山、山形など西海岸の広い範囲に津波警報も発令した。石川県に大津波警報が発令されました。
2011年に日本東北地方で発生した地震以来、大規模な津波警報が発令されたのは今回が初めてだ。気象庁とハワイに本部を置く太平洋津波警報センターは、日本沿岸の震源地から300キロ以内の範囲で高さ最大5メートルの危険な津波が発生する可能性があると警告した。
石川県七尾市に住む杉森信子さん(74)は、このような地震は経験したことがなかったと語った。
上野富士子さん(73歳)は、地震発生当時、自宅には20人近くが集まり新年を迎えていたが、奇跡的にけが人はいなかったという。 「すべてが一瞬の出来事でした」と上野さんは、ひび割れた道路から染み出した瓦礫と泥の中に立って語った。
1月1日夕方、日本政府は住民9万7000人以上に避難命令を出し、緊急時に避難所として使われることが多い学校の体育館や体育館に避難させた。
日本は津波警報を最高レベルに引き下げたが、致命的な津波が襲来する恐れがあるため沿岸地域の住民に帰宅しないよう要請した。しかし、当局が津波警報を解除した火曜日には多くの人が帰宅した。
ゴック・アン(ロイター通信による)
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