米国大統領とイスラエル首相の最近の発言は、ガザ地区における現在の紛争に対する見解の相違を示している。
ガザ市のパレスチナ難民ジャバリアキャンプでイスラエルの空爆により破壊された建物。 (出典:ゲッティ) |
ジョー・バイデン米大統領は12月12日、ワシントンで民主党の寄付者らに対し、イスラエル政府を「イスラエル史上最も保守的な政府」と呼び、ベンヤミン・ネタニヤフ首相に姿勢を変えるよう求めた。
ホワイトハウス長官は、ガザ地区の甚大な破壊の中、ユダヤ国家の軍事作戦への支持が弱まっていると警告した。同時に、ジョー・バイデン大統領はイスラエルは「二国家解決を望んでいない」と付け加えた。彼によれば、ユダヤ国家は依然として「世界の大半の国々から支持されている」が、「広範囲にわたる『爆撃』によって、すべてが徐々に蝕まれつつある」という。
ジョー・バイデン氏の発表の数時間前に、ネタニヤフ首相は紛争後のガザ地区に関して米大統領と意見の相違があることを認めた。しかし、彼は「この問題で合意に達することを期待している」と述べた。
これらのコメントは、イスラエルと米国間の根強い相違点に対処する上で、これまでで最も率直なコメントの2つだと考えられている。 10月7日のハマスの攻撃後に紛争が勃発する前から、ジョー・バイデン大統領は極右政党を含むネタニヤフ首相の与党連合を公然と批判していた。しかし、紛争勃発以来、イスラエルの選挙運動をめぐる世論の高まりにもかかわらず、ジョー・バイデン氏はほとんどの時間、公の場でベンヤミン・ネタニヤフ氏と肩を並べて立ってきた。
一方、ネタニヤフ首相は先月、 CNN (米国)の取材に対し、たとえ「再建」されたものであっても、「何らかの形のパレスチナ民政政府」を考えていると述べた。しかし、12月12日には「私の立場は明確にしておきたい。イスラエルがオスロの過ちを繰り返すことは許さない」と述べ、「ガザはハマスやファタハの所有物にはならない」と宣言した。
ネタニヤフ氏が言及する「オスロ」とは、1993年にイスラエルのイツハク・ラビン首相とパレスチナのヤセル大統領の間で、当時のホスト国のビル・クリントン大統領の仲介の下、キャンプ・デービッド(米国)で推進され、署名されたオスロ合意のことである。この合意により、ヨルダン川西岸地区とガザ地区を部分的に支配するパレスチナ自治政府(PA)が設立された。
同時に、ネタニヤフ首相の声明はハマスだけでなくファタハについても言及した。それはパレスチナ最大の政治勢力であり、オスロ合意の推進と署名、そしてその後30年間のパレスチナ自治政府統制において重要な役割を果たした。しかし、2007年の選挙後、パレスチナ自治政府はハマスによってガザから「追放」された。
したがって、イスラエルはガザ地区の支配権をハマスやファタハが掌握するパレスチナ自治政府に引き渡すことを望んでいない。一方、ワシントンはイスラエルによるガザ地区の支配を含むあらゆる提案を拒否し、パレスチナ領土の境界線を狭めることにも警告を発している。同時に、米国はパレスチナ国家建設の可能性を残しており、紛争終結後もパレスチナ自治政府がガザ地区の管理を継続することになる。
12月11日、ユダヤ教の祝日ハヌカを記念したホワイトハウスでのレセプションでバイデン氏が行った演説には、おそらく現在の米イスラエル関係の現状が多少なりとも反映されているのだろう。ベンヤミン・ネタニヤフ首相との51年間にわたる関係を振り返り、バイデン米大統領は二人の古い写真に書き込んだ言葉について語り、イスラエルの指導者を親しい愛称「ビビ」で呼んだ。
「私は写真の一番上に『ビビ、私はあなたをとても愛しているが、あなたが今言ったことには何も同意できない』と書いたが、それは今も変わらない」と彼は語った。
[広告2]
ソース
コメント (0)