「我々の軍隊は人民から生まれ、人民のために戦う。」
ベトナム解放宣伝軍(ベトナム人民軍の前身)。 (出典:ベトナム+) |
ベトナム人民軍(VPA)は、80年間の建設、戦闘、成長(1944年12月22日~2024年12月22日)を経て、 「世界に衝撃を与えた」数々の輝かしい功績を達成した。我が軍は全党、全人民とともに数々の侵略戦争に勝利し、祖国を統一し、「富民強国、民主、公平、文明」の社会主義に向かって前進したことを誇りに思う。
ベトナム人民軍は、国家史上永遠に記録される圧倒的な勝利を収め、世界で最も強大な三帝国(フランス、日本、アメリカ)を打ち破り、敵国を「感嘆のあまりひれ伏させる」に至った。
インドシナにおけるフランス軍司令官(1951~1953年)ラウル・サラン将軍は、「ベトミン兵士は実に恐るべき敵だ。ベトミン軍は炎と煙の中で成長し、最盛期を迎え、『比類なき戦争機械』であった」と断言した。
ディエンビエンフー作戦は完全な勝利だった。 (写真:VNA) |
ベトナム戦争(1968~1971年)に従軍した元米海兵隊中佐のジェームズ・G・ザムワルト氏は、「ベトナム兵は『裸足』であったが、『鉄の意志』を持っていたため、相応の決意を持たなかったアメリカ軍に勝利することができた」と強調した。
「他国の人民を助けることは、自らを助けることである」というプロレタリア国際主義の精神に基づき、ベトナム人民軍はラオスとカンボジアにおいても崇高な国際的責務を立派に果たした。
シェンクワン省のベトナム・ラオス殉教者記念碑(写真:Quoc Khanh) |
激動と苦難の時代において、英雄的な精神を持った数万人のベトナム義勇兵がラオス軍と人民とともに雄大なチュオンソン山脈を越え、旧植民地主義者と新帝国主義者と戦いました。その忠誠心は言葉では表現できません。
ラオスのブンニャン・ヴォラチット書記長兼大統領は、「ラオス国民は、ラオスのあらゆる聖地がベトナム義勇軍の幹部と兵士の犠牲の痕跡を刻んでいることを決して忘れません。彼らの汗と血は、ラオスの幹部と兵士の汗と血と混ざり合っています」と断言した。
さらに、ベトナム人とカンボジア人は、植民地主義と帝国主義に抵抗し、長年「苦楽を共に」してきた結果、平和を享受し、共に豊かで幸せな生活を築いてきたはずである。しかし、ポル・ポト派はカンボジアで残虐な大量虐殺政策を実行し、また血なまぐさい戦争を遂行し、ベトナム南西部の主権と領土を侵害した。
ベトナム義勇兵は、カンボジア救国民族統一戦線の切実な呼びかけに応じ、同時に神聖な祖国を守るために正当な自衛権を行使し、ためらうことなく自らを犠牲にし、パゴダの国の人々を大量虐殺から救うためにカンボジアの同志とともに戦い、1979年1月7日のカンボジア革命の勝利へと導いた。
バーディン広場でのパレード。 (写真:VNA) |
カンボジアのフン・セン元首相は、「カンボジア国民が死に瀕し、神仏に手を合わせて救いを祈ることしかできなかったまさにその時、ベトナム義勇軍が現れた。ベトナム軍はまさに仏陀の軍隊だ」と断言した。
新しい時代において、私たちは国民とともに「革命的で、規律があり、精鋭で、現代的なベトナム人民軍」を建設し、祖国を建設し、発展させ、しっかりと守るために努力します。同時に、ベトナム人民軍も世界平和の維持に貢献することに積極的かつ主体的に参加しています。
2015年、国連事務総長の潘基文氏は、感慨深げにこう語りました。「アフリカと南スーダンの悲惨な人々を助けるために、家族から遠く離れた長い道のりを旅してきた勇敢なベトナム兵士たちに、心から頭を下げたいと思います。国際舞台に立つベトナムの代表者たちを、皆さんは誇りに思うべきです。不安定な状況の中で悲惨な暮らしを送っている人々は、皆さんに助けと希望を求めるでしょう。」
父親の足跡をたどりなさい。 (写真:哈胡網) |
ベトナム人民軍創立80周年(1944年12月22日~2024年12月22日)と国防記念日35周年(1989年12月22日~2024年12月22日)を記念し、過去80年間、ベトナム人民軍が最も英雄的な歴史のページを書き、最も輝かしい功績を達成し、私たちの国を輝かしいものにしてきたことを私たちはさらに誇りに思います。
ベトナム人民軍はホーチミン主席の称賛に値する。「わが人民は英雄的な人民であり、わが軍は英雄的な軍である。」
(*)ハ・フー・ネット氏は、2017年から2022年までラムドン省文学芸術協会の会長を務めた人物です。
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