(CLO)10月29日にレバノンのヒズボラの新指導者に選出されたシェイク・ナイム・カセム氏は、30年以上同組織の幹部として活躍してきた。
レバノンの過激派組織ヒズボラは、前指導者ハッサン・ナスララ氏が先月イスラエルの空爆で死亡したことを受け、シェイク・ナイム・カセム氏を新指導者に選出したと発表した。
シューラ評議会は、30年以上ナスララ氏の副官を務めていたカセム氏を新指導者に選出した。ヒズボラは「勝利が達成されるまで」ナスララ氏の政策を継続すると誓った。
シェイク・ナイム・カセム師は7月10日、レバノンのベイルート南部郊外で行われた追悼式に出席した。写真:ロイター
カセム氏は10月8日の演説で、ヒズボラとイスラエルの紛争はどちらが先に泣くかという戦争であり、ヒズボラが先に泣くことはないだろうと述べた。イスラエルからの「痛烈な打撃」にもかかわらず、同グループの能力は損なわれていない。
しかし同氏は、同グループはヒズボラの同盟者であるナビーフ・ベリ国会議長による停戦確保に向けた努力を支持していると付け加えた。
カセム氏は1991年、武装勢力の当時の事務局長アッバス・アル・ムサウィ氏によって副指導者に任命されたが、アル・ムサウィ氏は翌年イスラエルのヘリコプター攻撃で死亡した。
カセム氏はナスララ氏が指導者になった後もその役割を維持し、長年ヒズボラの主要なスポークスマンの一人として、昨年のイスラエルとの国境を越えた紛争の際も含め、外国メディアのインタビューに応じてきた。
カセム氏の10月8日のテレビ演説は、イスラエルとヒズボラの敵対行為が9月に激化して以来、2度目の演説だった。
彼は、9月27日にベイルートの南郊でイスラエルの空爆によりナスララ師が殺害された後、テレビで声明を発表した最初のヒズボラ幹部だった。
カセム氏は9月30日の演説で、ヒズボラは暗殺された指導者の後継者を「できるだけ早く」選出し、パレスチナ人と連帯してイスラエルとの戦いを続けると述べた。
「我々がやっていることは最低限のことだけだ。この戦いは長期戦になる可能性が高いことは分かっている」と彼は19分間の演説で述べた。
カセム氏は1953年、レバノン南部出身の家庭にベイルートで生まれ、レバノンのシーア派アマル運動で政治家としてのキャリアをスタートさせた。
彼は、レバノンの多くの若いシーア派活動家の政治思想に影響を与えた出来事となったイランのイスラム革命後の1979年にグループを脱退した。
カセム氏は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻への対抗策としてイラン革命防衛隊の支援を受けて結成されたヒズボラの設立につながった会合に出席した。同氏は、ヒズボラが1992年に初めて選挙活動を行って以来、同組織の選挙活動の総合コーディネーターを務めている。
カセム氏は白いターバンを着用しているが、ナスララ氏とサフィディン氏は預言者ムハンマドの子孫としての地位を示すために黒いターバンを着用している。
ゴック・アイン氏(ロイター通信による)
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出典: https://www.congluan.vn/sheikh-naim-qassem-lanh-dao-moi-cua-hezbollah-la-ai-post319014.html
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