6月26日、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジは、米国のスパイ法違反の罪を認めた後、サイパン島(米国太平洋諸島)の裁判所から釈放された。
裁判所はまた、アサンジ氏が母国オーストラリアに直接帰国することを認めた。アサンジ氏は6月26日午後、サイパンから専用機でオーストラリアの首都キャンベラへ出発した。
ロイター通信によると、サイパンで行われた3時間に及ぶ審問で、アサンジ氏は機密文書を入手し開示する共謀の罪を認めたが、言論の自由を保障する米国憲法修正第1条によってこれらの行為は免責されると考えていると述べた。
米連邦地方裁判所のラモナ・V・マングローナ判事は、アサンジ氏の行為による個人的な被害者はいなかったことを米国政府が認めたと指摘し、有罪答弁を受け入れた。
ジュリアン・ポール・アサンジは、1971年7月3日生まれのオーストラリア人編集者、出版者、政治活動家であり、2006年にウィキリークスを設立した。ウィキリークスは、2010年と2011年に元軍事情報アナリストのチェルシー・マニングが提供した一連の情報を公開した後、国際的な注目を集めた。これらの疑惑は、2010年にウィキリークスがアフガニスタンとイラクでのワシントンの戦争に関する何十万もの米軍の機密文書を公開したことに端を発している。これは、米国史上最大の機密情報漏洩の1つと考えられている。
アサンジ氏の釈放により、14年にわたる法廷闘争は終結した。アサンジ容疑者は、性的暴行容疑によるスウェーデンへの引き渡しと、18件の刑事訴追に直面している米国への引き渡しに抵抗するため、厳重な警備が敷かれた英国の刑務所で5年以上を過ごし、ロンドンのエクアドル大使館で7年間の亡命生活を送っていた。
カーン・ミン
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出典: https://www.sggp.org.vn/nguoi-sang-lap-wikileaks-duoc-tra-tu-do-ve-australia-post746396.html
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