最近、ワシントンポスト紙はシリアのアサド大統領が打倒される直前の夜に「舞台裏」の情報を暴露した。
追放されたシリアのアサド大統領は米国との合意を拒否したと言われている。 (出典:TASS) |
ロシアのタス通信は、シリアの元外交官バサム・バラバンディ氏がワシントン・ポスト紙に対し、アサド大統領は打倒前夜、米国との取引を拒否したと語ったと報じた。
ワシントンポスト紙は、シリア反体制派の攻勢が始まる数週間前、米国がアラブ首長国連邦(UAE)を通じて、アサド大統領がレバノンのヒズボラへの物資供給ルートとしてシリア領土をイランが利用することを禁じるという合意を提案したと報じた。その代わりに、米国は制裁を段階的に解除することを約束した。
ワシントンポスト紙によると、アサド大統領の急速な追放よりも大きなダメージとなったのは、クルド人勢力の抑制と少なくとも一部のシリア難民の帰還を認めるのと引き換えにシリアとの関係正常化を提案していたトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領との関係樹立をアサド大統領が拒否したことだという。
トルコは、11月27日にアレッポ県とイドリブ県のシリア軍拠点に対して大規模な攻撃を開始し、そこから首都ダマスカスを含む多くの地域を制圧するために電撃的な攻勢を開始した反政府勢力を率いるグループ、ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)の支援国とみなされている。
12月8日、反体制派は首都ダマスカスに入城し、シリア政府軍は同市から撤退した。シリアのモハメド・ガジ・アル・ジャラリ首相は平和的な政権移譲の用意があると表明した。ロシア外務省はアサド大統領が辞任し国を離れたと発表した。
シリア情勢について、アルジャジーラテレビ局は、武装反政府勢力がイドリブのシリア救国政府(SSG)運動の指導者である 政治家モハメド・アル・バシル氏に暫定政府樹立の責任を委ねたと報じた。
同テレビ局によると、モハメド・アル・バシル氏は1983年にシリア北西部イドリブ県で生まれ、今年1月にSSGの長官に任命された。
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出典: https://baoquocte.vn/tinh-hinh-syria-bao-my-bat-mi-giao-dich-bat-thanh-giua-wahington-va-ong-al-assad-ngay-truoc-dem-lich-su-296813.html
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